わたしの本のこと

クリスチャン・ロビンソンの絵本

がっこうだってどきどきしてる

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アダム・レックス 文   クリスチャン・ロビンソン 絵  WAVE出版

 

原題は "School's First Day of School"。

「学校にとっての、学校のさいしょの日」という意味。ややこしいですね。

(タイトルについては悩みました…)

 

物語は建設現場の風景からはじまります。

新しく建った建物には「がっこう」と書いてありますが、なにしろこの建物は生まれたてほやほやなので、「がっこう」が何のための建物かがわかりません。

やがて用務員がやってきて、「がっこう」の中をぴかぴかに掃除してくれます。

「がっこう」は用務員がすきになり、「ぼくは、きみの家なの?」と期待をこめてたずねるのですが、あっさり否定されます。

それどころか、じきに子どもたちが大勢やってくるときいて、「がっこう」は不安になるのです。

 

そして、学校のさいしょの日。

「がっこう」は、どきどきしながら、子どもたちをうけいれます。

なんとまあ、いろんな子どもたちがいるのでしょう。

「がっこう いやだあ!」と泣く子もいれば、大笑いも、けんかも、仲直りも。

 

それをずっとみつめていた「がっこう」は、一日のさいごにつぶやくのです。

 「あのこたち、あしたも また きてくれると いいなあ」

 

すると用務員はこたえます。

「きっと くるよ。 あしたも、あさっても。

 そして もっと がっこうが すきになるさ」

 

すべての学校が、子どもたちをみつめ、やさしく包み込む素敵な場所でありますように。

 

おじさんとカエルくん

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リンダ・アシュマン 文  クリスチャン・ロビンソン 絵  あすなろ書房

 

雨がふっています。

あっちのマンションの窓で、おじさんが吐き捨てるようにつぶやきます。「雨か!」。

こっちのマンションの窓で、男の子が歓声をあげます。「雨だ!」。

 

それぞれ、みじたくをして、おでかけ。

おじさんは、ぶつぶつと雨をのろい、通りかかる人をしかめっつらで、にらみつけながら。

男の子は、カエルのレインコートをきて、カエルのようにぴょんぴょんとびはね、笑顔をふりまきながら。

 

そしてふたりは、おなじカフェで、となりのテーブルにすわります。

さてさて、なにが起きたのでしょう?

あのしかめっつらおじさんが、帰り道ではケロケロわらい、水たまりをぱしゃぱしゃふんでいきますよ。

 

ところで。

ふたりが行き会わせたカフェの名前は「あめでもはれでもカフェ」。原文は"Rain or Shine"カフェだから、まあ、文字どおりの翻訳です。

でも、英語の rain or shine には「晴雨にかかわらず、なにがあっても」という意味があります。

したがって、このカフェは、どんなお天気でもご来店くださいという意味にくわえて、どんな気分のときにもどうぞという意味があるのでしょうし、さらに本全体のメッセージとして考えると、人の一生のどんな局面であってもという含みがあるように思います。

いい日ばかりではない人生を、あなたは笑顔ですごしますか、それとも文句ばかりのしかめっつらですごしますかと、ささやいているように思われます。

 

そんな深読みも可能で、でも、わざとらしくない店名はないものかと、うんうん、唸って考えましたが…

「晴雨カフェ」「降っても照ってもカフェ」「全天候型カフェ」

「なにがあってもカフェ」「どんなときにもどうぞカフェ」「人生カフェ」

 

…あきらめました。しくしく…(;o;)

絵本の翻訳は、ひらがなが殆どですし、絵にはめこむ場合は、そのスペースにふさわしい長さでなくてはなりません。もちろん、文化的なちがいもあります。

たまには、原文よりいいかもねとムヒムヒほくそ笑むときもありますが、これは、ざんねんなケースです。

 

でもまあ、そんな翻訳家のちっぽけな敗北感はなんのその、色がきれいでポップで、絵をよむ楽しさに満ちた絵本です。

1986年生まれの画家クリスチャン・ロビンソンは、この絵本の頃から急に有名になり、いまやひっぱりだこ。

小さなころは、きっとカエルくんだったんだろうなと思える笑顔の青年です。写真だけでも、ごらんください。

http://theartoffun.com/about/

 

デビッド・マッキーの絵本

せかいでいちばんつよい国

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デビッド・マッキー作 光村教育図書 

 

原書が出版されたのは2004年。

その後、作者のデビッドは来日したときに教えてくれました。

ブッシュ政権の中東政策に抗議をするために、わずか10日かそこらの猛スピードでこの本を作ったのだと。

けれどその下地には、第二次世界大戦の勝者としてイタリアに駐留し、すっかりイタリア文化に魅せられて帰国した兵士のエピソードがあるとも。

普遍的な問いかけを含む1冊です。

メルリック まほうをなくしたまほうつかい

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デビッド・マッキー 作絵  光村教育図書

 

心やさしい、まほうつかいのメルリックは、人間たちのためにせっせと魔法をつかいます。

王さまのプールの温度管理や、お城のペンキぬりから、一般家庭の料理、洗濯、裁縫、畑仕事、靴の修繕まで。

だから忙しいのはメルリックだけ。ほかの人は、のんべんだらりと暮らしていました。

ところがあるとき、メルリックの魔法が底をついてしまったのです。

あらまあ、魔法って有限だったんですね。

魔法に頼りきっていた人々の大混乱がユーモラスに描かれます。

 

作者のデビッド・マッキーは「ぞうのエルマー」で有名ですが、キャラクターグッズの画家ではありません。

エッジのきいた風刺と、社会への問いかけが彼の本領です。

 

この物語が最初に生まれたのは1970年でした。

日本でも『まほうをわすれたまほうつかい』(安西徹雄 訳・アリス館)として紹介されましたが既に絶版。本国イギリスの元の本も絶版です。

 

するとマッキーさんは、すべての絵を新たに描きなおし、2012年に新刊絵本として出版したのです。当時77歳。

なんとしてもこの物語を蘇らせ、次代に手渡そうとした熱い思いが感じられます。

「魔法の力」とは、いったい何でしょう。

震災直後の私の脳内では、ただちに電力と原子力に変換されました。

けれどほかにも、いろいろなものに置き換えることができそうです。復興予算や途上国への支援、石油、財力、ITと考えることも可能かもしれません。

 

さて、わたしたちは、生活を楽にしてくれる「魔法の力」と、どう向きあっていけば幸せになれるのでしょうか。

さんびきめのかいじゅう

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デビッド・マッキー 作絵  光村教育図書

 

石ころだらけの島に、赤いかいじゅうと青いかいじゅうがすんでいました。

石ころをかたづければ快適なくらしができるのだけど、2匹は、なまけもの。

あるひ、ボートが流れつきました。乗っていたのは、きいろいかいじゅう。

すんでいた国が地震でめちゃめちゃになり、命からがら逃げてきたという きいろいかいじゅうは へんてこな言葉で 懇願します。

「おねがい、とち、ちょっぴり ください。わたし、なんでも しますです」

 

よそもの、おことわり!

赤いかいじゅうと青いかいじゅうは、きいろいかいじゅうを追いだそうとしましたが、いいことを考えつきました。

そうだ、こいつに 石ころをかたづけさせちゃおう!

 

きいろいかいじゅうは、せっせと働きます。

そしてみごとに してやられた 赤いかいじゅうと青いかいじゅう。

さあて、このあと三びきは いっしょに仲良くくらせるのでしょうか…?

 

お察しのとおり、これは移民や難民の問題をテーマにした絵本です。

「ぞうのエルマー」で有名になったイギリス人作家デビッド・マッキーは、4カ国語をあやつり、異なる文化背景をもつ女性と家庭をもって、つねに社会的な視点から絵本を作りつづけた作家です。

この絵本が出版されたばかりの2005年の夏、わたしは来日したマッキーさんと夕食をともにしました。

日本酒をのみ、お箸でじょうずにサラダをたべるマッキーさんがいいました。

「おいしいサラダを作るコツはね、歯ざわりのちがうものをまぜることだよ。

いろんなのがまじっていてこそ、おいしいんだ」と。

 

よそ者を警戒し、恐れるきもちはだれにでもありますが、とりわけ近年、世界的にひろがる排他主義を感じます。

でもこの本、出版から12年目に絶版がきまってしまいました。

ざんねんだなあ…。

 

 

 

バレリー・ゴルバチョフの絵本

ゆうびんやさん おねがいね

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サンドラ・ホーニング 作  バレリー・ゴルバチョフ 絵

 

コブタくんが、遠い町にすむおばあちゃんのお誕生日に送りたいのは、お花でも絵でも手紙でもありません。

特大サイズの「ぎゅっ」を送りたいのです。

おばあちゃんの住所をかいた封筒をもって、郵便局でお願いをしてみると、特別扱いで配達してくれることになりました。

 

まずはコブタくんが、窓口のイヌさんを、ぎゅっ。

窓口のイヌさんは、郵便を仕分ける係のヤギさんを、ぎゅっ。

ヤギさんは、郵便を運ぶトラック運転手のウサギくんを、ぎゅっ。

…というぐあいに、コブタくんの「ぎゅっ」が運ばれていきます。

 

べたべたしたつきあいが苦手なヤマアラシさんも、仕事だからしかたないと観念して、トゲをねかせて、ぎゅっとしてもらうのです。

みんな、おとなですもんね。

しょうがないなあ、と笑いながらも、なにやら和気藹々としてきます。

 

こうして「ぎゅっ」は、おばあちゃんのところに無事に届きました。

すると大喜びのおばあちゃんは、すぐにお返事をだしたのです。

ん? どんなお返事かしらって?

ほっぺに「ちゅっ!」

 

読んでいるほうも、自然と口もとがゆるんできます。^w^

すてきなあまやどり

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バレリー・ゴルバチョフ 作絵  徳間書店

 

ヤギくんのところへ、ブタくんが、ずぶぬれになってやってきます。

さっきのにわか雨に、ふられたようです。

「木の下で、あまやどりをすればよかったのに」

ヤギくんは、乾いたタオルを貸してやりながら言いました。

 

ところが、ブタくんはこたえます。

「したよ」

「それなら なんで ぬれたのさ?」

「ちっちゃな ネズミが1匹、あまやどり させてって、ぼくの木の下に はいってきたの」

「そりゃ おかしいよ。ちっちゃなネズミとなら あまやどり できただろう」

「うん。でも そこへ ハリネズミが 2匹、とびこんできたんだ」

それからもバッファローが3匹、ヒョウが4匹、ライオンが5匹、ゴリラが6匹……。

ヤギくんは、うなずきます。

「なあるほど! だから きみは おしだされて、あめに ぬれちゃった というわけか!」

 

ううん、ちがうのです。

あのね、ブタくんがびしょぬれになったわけはね……。

とっても痛快、爽快。きっとどなたも笑ってしまうはず。

 

たくさんの動物たちが出てくる十までの数字の本であるとともに、ヤギくんとブタくんの漫才のような会話が愉快です。

そしてなによりも素敵なのは、ブタくんの子ども心。

初夏の噴水のように、きらきらしていて、読み聞かせにおすすめの一冊です。

 

バイロン・バートンの絵本

きょうりゅうきょうりゅう

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バイロン・バートン 作絵  徳間書店

 

パキッとあざやかな色。くりくりっと、かわいいフォルムのきょうりゅうたち。

文章は…

 

 おおむかし

 きょうりゅうが いた

 つのの はえた きょうりゅう

 とげの はえた きょうりゅう

 しっぽに こぶの ついた きょうりゅう

   (6行 省略)

 たたかう きょうりゅう

 にげる きょうりゅう

 きょうりゅうも やっぱり おなかが すいた

 つかれると やっぱり ねむくなった

 きょうりゅう きょうりゅう おおむかし

 

以上で丸ごと一冊ぶん。短いですよね。

わたしの翻訳絵本2冊目の仕事です。

初めて書店にならんだときは嬉しくて、売り場にいきました。

すると四才くらいの女の子が走ってきて、この本をとりあげたではありませんか。

「かわいい! ママ、これ買って!」

ひゃぁ〜、わたしの翻訳した本が読者に買ってもらえる瞬間を目撃しちゃう!? 心臓がもうバクバク。

 

ところが後からやってきたママは、ちらりと見るなり、おっしゃいました。

「文章短いから、ここで読んじゃいなさい。べつの買っていきましょう」

……… が〜〜〜ん!(×_×)

 

さて、質問です。

絵本のお値段は、文字の量で決まるものでしょうか?

ちがいますよねー。

絵本は、絵と文でできています。

絵本の文は背骨で、絵本の絵は肉や皮膚。このふたつがうまく合わさってハーモニーを奏でることで、ひとつの作品となっているのです。

だから、どうぞ絵を「読んで」ください。

子どもは絵を読みます。でも、おとなになると、絵が読めなくなる人のほうが多い。絵本はずいぶんと割りの悪い買い物になってしまいます。

もったいたない、もったいない。

 

絵をじっくり読めば、文章が触れていない、きょうりゅうたちの息づかいが伝わってくるはず。

端々のドラマに気づき、味わって読み進めば、さいごの頁にいきついたときには、ほおっと小さく満足の吐息もでてくるかも。

はじめての恐竜図鑑としても、おすすめです。

 

ちなみに、それから30年近くたちますが、じぶんの本が買われていく現場には遭遇できていません…。

 

さんびきのくま

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バイロン・バートン 作絵  徳間書店

 

パキッと元気なビタミンカラー、くりくりっとかわいいフォルムで語る「さんびきのくま」。

森の3匹のくまさんが、お粥を作ってでかけた留守中に、人間の女の子がやってきて、くまの家に無断で入り、大中小のおわんのお粥をたべ、大中小の椅子をためして壊し、大中小のベッドでねてしまうという、有名なむかし話です。

むかし話は、再話によって、ずいぶん印象のちがうものになります。

おぎょうぎの悪い子は怖い目にあうのだとばかりに、女の子がくまに追いかけられたり、かみつかれたりする教育的な本が多いかも。

でもこの本では、人間の女の子、きんいろまきげちゃんは、はつらつとした自然児で、心のおもむくままに行動しただけ。

くまだって、きんいろまきげちゃんといっしょに、びっくりぎょうてんしているだけ。

それでおしまい。一回かぎりの出会い。

なんとも、とぼけたおかしみがのこります。

 

こんなふうに単純にしても、やっぱりおもしろいのは、むかし話が骨太だからでしょうね。

 

ちいさなあかいめんどり

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バイロン・バートン 作絵  徳間書店

 

元気なキャンディーカラーで語る イギリスの昔話です。

働き者の赤いめんどりが、小麦の粒をみつけました。畑にまいて育てようと思います。

「てつだってくれる?」と なかまの ぶたと あひると ねこにたずねますが、へんじは「やだよ」。

赤いめんどりは しかたなく「それでは ひとりで やりましょう」

 

そのくりかえし。

せっせと ワンオペ労働をこなす赤いめんどり。

ようやく小麦が  おいしいパンになったとき、ちょっといじわるをしてやります。

結末に にやりとするママたちも少なくないのでは。

 

もっとも、ひよこたちだけは 働かなくても ちゃんとパンをもらえます。

文章にでてこないキャラクターを生き生きと遊ばせるのも 絵本の醍醐味ですね。

 

ぶたと あひると ねこの「やだよ」のくりかえしが、イヤイヤ世代の絵本初心者ちゃんに ぴったりだと思うのですが、あいにく絶版です。

 

ひこうきにのろう

ひこうきにのろう

バイロン・バートン作  好学社

 

1982年にアメリカで刊行された絵本です。

原題は "Airport"。

直訳だと「くうこう」になりますが、平仮名表記がイマイチであることと、飛行機に乗りこんで離陸するまでのわくわく感を描いた本なので、日本語版タイトルを『ひこうきにのろう』としました。

 

バイロン・バートンは、幼い子どもが興味をいだく物事を、それ以上でもそれ以下でもないシンプルさでむんずと掴んで見せてくれます。

たしかに子どもはこういうところを見ているよね、と納得することがしばしば。

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大雑把なようでも、魅力のツボは外しません。

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鮮やかで迷いのない色彩も魅力です。

1930年生まれのバートンは、70代半ばからコンピューターで絵を描くことにも挑戦したとか。

新しい絵の具を手に入れた子どものように、80歳を過ぎても新作を発表していたようですが、今年の6月、92歳で亡くなりました。

ありがとう、バイロン・バートン。

 

 

編集は、初お手合わせの山口堅太郎さん。

わたしのブログ「ときたま日記」に「古い絵本のリペア仕事がだいすきです」とあったのを読んで声をかけてくださったそうです。嬉しい。

 

装幀は、宇佐美牧子さん。

1980年代のノスタルジックな雰囲気を残しつつ、パキッと新鮮な魅力も加味してくださいました。

ジョン・クラッセンの絵本

アナベルとふしぎなけいと

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マック・バーネット 文  ジョン・クラッセン 絵  あすなろ書房

 

 どっちを むいても しろい ゆき。

 そして えんとつから でる、くろい すす。

 

そんなモノトーンの世界で、アナベルは箱をひろいます。

なかに入っていたのは、色とりどりのきれいな毛糸。

アナベルはセーターを編みます。

カラフルで、あたたかそうなセーターを。

まだ毛糸がのこっていたので、犬のマースにもセーターを編んであげました。

うらやましくて、いじわるをした男の子にも。

めだちすぎだと叱った先生にも。

家族にも、町の人たちにも、動物たちにも、ボストにも、木にも、家々にも…。

編んでも編んでも毛糸はなくなることがなく、町の景色がかわっていきます。

すると海のむこうから、おしゃれで欲張りな王子が箱を奪いにやってくるのです。

 

でも、ご心配なく。

だって、色あざやかなくらしを、ひと針ずつちくちくと手もとから編みだすことのできる人が、ずっと幸せなのは、あたりまえですもん。

 

すみからすみまで、おしゃれな絵本です。

装丁家の城所潤さんが、ちくちくと手間をかけて、表紙のタイトルもセーター模様にしてくれました。

 

 

 

 

サムとデイブ あなをほる

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マック・バーネット 文  ジョン・クラッセン 絵  あすなろ書房

 

サムとデイブは、おじいちゃんの家の庭で、大きな穴を掘りました。

なにか、すっごいものをみつけるまで、がんばって掘ることにしたのです。

 

 あなは ずんずん ふかくなり、

 ふたりは すっぽり あなのなか。

 けれど、なんにも でてこない。

 

「もっと ほらなくちゃね」

それでも、なんにも出てこないので、掘る方向をかえてみます。

横に掘ったり、ななめに掘ったり。

あとちょっとでみつかったはずの、すっごい宝物は、読者にしかみえません。

あはは、惜しい〜!

と、わたしたちは笑います。いわば、じぶんの運命をしらない人間たちを天上から余裕たっぷりにみつめる神さまの気分。

これって本を読む者の特権ですもんね。

 

サムとデイブは、さんざん掘ったあげく、くたびれはてて、ふかいふかい眠りにおちます。

するととつぜん、おっこちた。

おっこちて、おっこちて、まだまだおちて………………どすん!

と、おじいちゃんの家の庭の上。

やれやれ、くたびれたねと、おやつを食べに、おじいちゃんの家に帰っていきます。

 

え?

ちょっとまって! そこって、ほんとにおじいちゃんの家なの???

天上の神であったはずのわたしたちは、わけがわからなくなって、目をぱちくり。取り残された気分で、あわててしまいます。

なんともいえない、おかしみを味わってください。

なんだかメビウスの輪のような物語です。

 

ところで、文をかいたマック・バーネットと、絵をかいたジョン・クラッセンは、親しい友人のようですよ。

ふたりとも、永遠のいたずら少年でサムとデイブみたいだと、わたしは勝手に思っています。

 

 

おおかみの おなかの なかで

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マック・バーネット 文  ジョン・クラッセン  絵  徳間書店

 

  あるあさ、ねずみが

  おおかみに あいました。そして……

 

  (物語が始まったばかりだというのに)

 

  ぱくっと たべられてしまいました。

 

そんなわけで以下、物語の舞台はほぼ一貫して、おおかみのおなかの中。

おしゃれで、とぼけていて、くすくす、ぷふぷふ笑える絵本です。

 

なにをかくそう、わたしが翻訳家修業をしたのは、コメディ専門の小劇団でした。

「日本人にもっと笑いを」をモットーに旗揚げしたという熊倉一雄さんや、納谷悟朗さん。

今は亡き名優達に笑いの豊かさを教えてもらったことを思い出しながらの楽しい仕事でした。

  

メイキング話はこちらからどうぞ。

原作者二人の のほほんとした漫才みたいなYouTube動画もご紹介しています。

 

 その1http://chihiro-nn.jugem.jp/?eid=28

 その2 http://chihiro-nn.jugem.jp/?eid=35

 その3http://chihiro-nn.jugem.jp/?eid=60

 

編集は、小島範子さん。

おおかみや、きょうりゅうなど、おもにコワモテ主人公の物語をご一緒しています。。

装丁は、クラッセンならまかせろ、の森枝雄司さん。

ドン・フリーマンの絵本

しずかに! ここはどうぶつのとしょかんです

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ドン・フリーマン 作絵  BL出版

 

カリーナは としょかんが だいすき。

この日も、あこがれの司書さんと ちょっとおしゃべりをして、どうぶつの本をよみました。 

 

 どうぶつたちも ほんを よみたいかもしれないな。

 わたしが としょかんの ひとだったら、

 どうぶつだけが としょかんに はいれる とくべつな ひを つくるのに…

 

そこから、カリーナの空想が むくむく。

ほら、空想のなかのカリーナは、司書さんといっしょの おだんごヘアですよ。

 

色もやさしいパステルカラーで、ほんとにかわいい絵本です。

ドン・フリーマンは「くまのコールテンくん」で有名なアメリカ人の絵本作家。

ジャズトランペッターだったのに、地下鉄でトランペットを置き忘れたのをきっかけに絵に専念…って、泣き笑いのような経歴の持ち主です。

1978年に70歳で亡くなっており、いまの著作権者は息子のロイ・フリーマンさん。

翻訳にあたり、いくつか質問をさせていただきましたが、おとうさんによく似た、やさしいおじいちゃまのようでした。

 

そのロンさんに許可をお願いしたことのひとつを、ここで告白しましょう。

原書では、主人公の名前は Cary、ケアリーです。

それをわたしはカリーナに変えてしまいました。なぜかというと、このお話では、カナリアがとても重要な役割をはたしているから。

カナリアは英語では Canary。キャナアリーという発音になり、主人公の名前ケアリーと、音も綴りも、微妙によく似ているのです。

まあ、英語ネイティブ読者も10人に8人は気づかないでしょうけど。

 

日本語でカナリアに似た名前ってなんでしょう。カナちゃんとか?

だめだめ。それじゃ10人のうち9人が気づいちゃう。

で、思いついたのが、カリーナ。

するするっと読めば気づかない。

本をさいごまで読んで主人公とカナリアとの絆がわかったら、10人のうち2人が気づくかも。

もしかしたら二度目、三度目に読んだときに?

それでじゅうぶん。

絵本は、何度も読んでいただくことを前提としておりますので。

 

 

 

ダッシュだ、フラッシュ!

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ドン・フリーマン 作絵  BL出版

 

ダックスフントの夫婦のおはなしです。

フラッシュは なまけもの。まいにち、ひるねばかり。

はたらくのは おくさんの シャッセばっかり。もう限界!

「きょうは あなたが しごとに いって たべものを さがしてきてちょうだい」

 

お尻をたたかれ、しぶしぶ出かけたフラッシュは、あろうことか 電報屋さんに就職します。

「あしの はやいかた」という条件なのにねえ。

でも だいじょうぶ。

足のみじかいフラッシュは、混み合う街の人々の足もとをくぐりぬけて ミッションコンプリート! やればできる!

ほめられて 労働の喜びにめざめたフラッシュ。こんどは一転、ワーカホリックになってしまって、ろくに家に帰りもしません。

あきれ顔の 妻シャッセ。

そのうちに、ほらみたことか、燃え尽き症候群…。

けれども、さいごは ほんわかとしたハッピーエンドにまとまります。めでたし めでたし。

 

家庭生活アルアルの夫と妻の物語ですが、こんなふうに 子どもも含めてみんなで楽しめる絵本にしてしまうあたりが  ドン・フリーマンの力、あるいは古き良きアメリカの包容力なのかなと、今となっては博物館ピースとなった「電報」という媒体とともに、遠いまなざしで眺めてしまいます。

 

 

 

ハロウィーンのまじょ ティリー

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ドン・フリーマン 作絵 BL出版

 

ティリーは ものすごくいじわるな魔女。

それって、魔女としては優秀だってことですよ。

でもある夜、月にみとれて うっとりしていたら、おかしなことになりました。

にこにこ顔がはりついて、元のいじわる顔にもどらなくなってしまったのです。

折しも、あしたはハロウィーン。魔女としての晴れ舞台なのに。

 

 

ホウキにのってるのは  まどろっこしいので、いまどきの魔女ティリーはサーフボードにのって空を飛んでいきます。

ワッホー島のワヒワヒ先生の診察をうけたり、母校の魔女学校で勉強をしなおしたり。

魔女の大鍋に お砂糖やチョコレートプリンのもとを入れて先生を激怒させる失敗もしますが、さいごにはちゃんと自発的に立ち直ります。

どうやって、って?

子どもたちにとって、魔女が怖い存在でなくなったら、ハロウィーンの楽しみがなくなってしまうと思ったからですよ。

だからティリーは、世にも恐ろしい顔で、子ども達をこわがらせるんですって。(^-^)

 

縦組みの児童文学の体裁なので「翻訳児童文学」のほうに入れるべきかと迷いましたが、ドン・フリーマンの作品としてこちらにおさめました。

本の縦組み、横組みについては、こちらをお読みください。

http://chihiro-nn.jugem.jp/?eid=4

 

ハロウィーンのまじょ ティリー うちゅうへいく

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ドン・フリーマン 作絵  BL出版

 

ことしも もうじき ハロウィーン。

まじょのティリーは プラネタリウムで星の勉強をして、宇宙にいきたくなりました。

今年のハロウィーンは宇宙人をおどかしにいこうっと。

まず、宇宙船をつくらなくっちゃね。

大鍋に それっぽい材料を入れて、まほうのことばをとなえて、スーパーベッタリ接着剤で部品をくっつけて、トンデケガソリンを注入して、ゴゴゴゴゴーッ!

 

さすがは優秀な魔女。

優雅に宇宙旅行をたのしみますが、トンデケガソリンが切れて、よくわからない星に不時着。

きっと火星でしょ。だって火星人がいるんだもの。ついでに、おばけや、あくまや、大きなカボチャもいるけど。

ん、それって…?

さて、ティリーのハロウィーンは、どうなるのでしょう。

 

これもやはり、原書はぎゅう詰めの横組み本だったのを、縦組み読み物の体裁になおしたものです。

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左が原書。右が日本語版。

原書は横組みなので、左から右にお話が進みます。

宇宙船の発射シーンが左ページに、宇宙をとびまわる宇宙船のシーンが右ページにと、おなじ見開きにふたつのシーンが入っています。

 

いっぽう、日本語版では、それぞれのシーンをひとつの見開きで、ゆったりと組んであります。

でも、判型がちょっと小さくなり、宇宙船がお話の進行方向である左にむかうようにと、版をひっくりかえしています。

あまりやりたくないことですが、メリットとデメリット、どちらがよいかを天秤にかけました。

これも子どもの本の翻訳しごとの範疇かなと、わたしは考えています。

http://chihiro-nn.jugem.jp/?eid=4

アリスン・マギーの絵本

ちいさなあなたへ

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アリスン・マギー 文 ピーター・レイノルズ  絵  主婦の友社

 

本国アメリカで出版される前に、編集者の浜本律子さんがみつけてきた本です。

フランクフルトのブックフェアで、プルーフと呼ばれる校正刷りを立ち読みした浜本さんは、じんわり涙ぐみ、すぐに出版契約を結んだそうです。

 

けれども翻訳依頼の電話は、ためらいがちでした。

「個人的に感動したんですけど、なかがわさんはこういう本、引き受けてくれないですよね?」

 

たしかに迷いました。

わたしは基本的に子どものための絵本を作っていきたいと思っています。

そしてこれは、100%大人のための絵本です。

 

でも、わたしも「個人的に」心を射貫かれてはいたのです。

それは、絵本のなかの子どもが成長して家をでていく姿を、母が見送るところ。

去っていく子どもは家をふりかえり、じぶんが育った家がちっぽけに見えることをいぶかしみます。

子どもがそう感じていることを、母は知っているのです。

なぜなら、じぶんもそうだったから。

 

わたし自身の子どもが、まさに巣立ちの時期でした。

浜本さんが心を射貫かれたのは、べつの場面だったようです。

お子さんがまだ小さかったからでしょう。

 

ふうむ。

子育て段階によって、ツボがちがうのね。

でも、この本は、子育て経験のある40代以上の女性読者限定だね。

そんな人たちは自分のために絵本を買わないよー。

きっと売れないにちがいないけどさ、浜本さんもわたしも個人的に気に入ったから、営業部に気がつかれないうちに、そそくさっと出しちゃえ〜!

 

……というのが、偽らざる経緯です。

 

もちろん、何度も読み合わせをし、日本とアメリカの子育て文化の違いについても話しあいながら、ていねいに作っていきました。

 

著者のアリスンの言葉は詩なので、そのまま置き換えることはできません。

著者の意図しない方向へ流れないように、また原文同様、平易な言葉でふれるべきは心のどんな琴線だろうかと、アリスンとも密に連絡をとりました。

 

本文の文字は、ふつうの女性が日記を綴るような字にしてくださいと、装丁家の水崎真奈美さんに、描き文字でお願いしました。

 

こうして日本語版がほぼできあがったころ、一足早く発売されていた原書がアメリカで爆発的に売れ、ニューヨークタイムズベストセラー入りという物々しい知らせが舞い込みました。

え〜、なんでだろ〜。ほんとかな〜。まあ、日本とアメリカは違うからね〜。

それまでどおり平熱、いや、低体温のわたしと浜本さん。

 

けれども、主婦の友社の営業部の判断はちがいました。

「これ、いける!」だったそうです。なんと最初から。

 

その判断どおり、10代から80代まで、予想をはるかに上回る幅広い読者の方々が、この本を大切なものとして受けとめてくださいました。子育て経験の有無も、男女も関係なしに。

編集部に届いた読者カードの山を午前3時までかけて読んだとき、わたしは何度も頭を下げ、小声でお詫びいたしました。かってに読者を限定しちゃって、ごめんなさい…。

 

どうやら、この本には、とても豊かな「すきま」があるようです。

そしてそれが、いろんな方の人生の奥行きと共振するのでしょう。

 

アリスンは、この本の核は「かなしいしらせ」のところだといいます。

愛しい我が子には、つらい思いをしてほしくない。切にそう願う。

けれども人生を十全に味わうためには、かなしみが不可欠であることを、母は知っている。

なぜなら彼女自身、そういうふうに歩んできたからであり、見守ってくれた彼女の母のまなざしをも、知っているから。

その深さが魅力です。

 

 

ところで。

メールでのやりとりを続けているうちに、アリスンが、アメリカに数人しかいない私の友だちの、きわめて親しい友だちであることがわかりました。

うーむ、アメリカって小さいね。たぶん人口も30人くらいなんだろね…(*_*)

 

 

編集は、浜本律子さん。

装丁は、水崎真奈美さん。

本文文字はすべて描き文字です。「ごくふつうの女性が日記をつづるような文字」というリクエストに応えてくれました。 

ぼくのゆきだるまくん

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アリスン・マギー 文  マーク・ローゼンタール

 

雪がふった朝、

男の子が ゆきだるまを つくりました。

 

  これが くちだよ、ゆきだるまくん。

  ても つけてあげようね。

  

  ぼうしが ほしいの?

  ぼくのを あげる。

 

  ゆきだるまくん。

  ぼくの ゆきだるまくん。

 

男の子は 家に入ってからも 庭のゆきだるまくんをみつめます。

つぎの日も、ゆきだるまくんと遊びます。

豊かな空想時間の たいせつな友だち。

 

けれど、ゆきだるまくんは とけてしまうのです。

帽子だけをのこして。

 

春がきて、夏になっても、男の子はときどき思い出します。

あとかたもなく消えてしまった たいせつな友だちのことを。

 

  たいせつにしたものは、なくならないんだって。

  ちゃんと どこかに いるんだって。

 

ほんとかな。

わたしは、男の子が海をみつめて ぽつねんと すわっている姿がすきです。

 

  だけど やっぱり、

  いないのと おんなじ。

 

そう。

これは雪遊びのお話ではなく、喪失の物語。

雪はとけて、水になり、海にそそぐ雨になり、霧になって、すぐそばにいるのかもしれない。

そう思わないといられないほど、たいせつな存在を失ったひとへの。

 

  たいせつにしたものは

  なくならないって、ほんとだよ。

きみがいま

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アリスン・マギー 文  ピーター・レイノルズ 絵  主婦の友社

 

  きみが いま むちゅうなのは

  きいろい カップ

  おはようの うた

  きらきら まぶしい あさの ひかり

  にじいろに かがやく むしの はね

  そして

  おおきな ダンボールばこ

 

原題は "Little Boy"。

小さな男の子が夢中になって遊び、見つめ、追いかける物事がつぎつぎに挙げられていきます。

みずたまり。さらさらこぼれる砂。サッカーボール。絆創膏。濡れた犬のにおい…。

ほんとほんと、と笑って頷き、あるいは、そういえばそんなこともあったっけと遠い日を鮮やかに思い出したあたりに…

 

  さきのことなんて しんぱいしない

  あしたのために いそぐことも しない

  だから

  おおきな ダンボールばこに むちゅうに なれる

 

…とあって、どきん、とします。

くりかえし語られる「おおきなダンボールばこ」は、もちろん、そのままで良いのですが、もっと大きなものの比喩でもあるのでしょうね。

幼い子への愛おしさもさりながら、ふっと時が止まり、じぶんの現在をみつめてしまいます。

 

アリスンの言葉をのびのびとひろげるピーター・レイノルズの絵がほほえましい。

ピーターの絵って、彼が文章も書いているときと、ほかの人の文章のときでは感触がちがうのよね。(^o^)

 

 

そしてこの本も、2019年春にコープロではなく、国内印刷として復刊されました。

まちがい探しのようですが、右が原書、中央が2010年コープロ版、左が今回の新版です。

帯の言葉がすてき。

 

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写真では微妙な色や紙質が伝わりませんが、見返しの黄色と袖の若草緑のバランスも、ひとりのデザイナーが最初から最後まで気を配ればこれだけ違うということがよくわかります。

こういう なんてことなさそうな配慮が、本の「香り」として読む人の心をそっと包むのです。

 

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編集は 浜本律子さん。復刊担当編集は 白田久美さん。

装丁は どちらも、水崎真奈美さん。 

 

復刊の舞台裏は、こちらからどうぞ。

http://chihiro-nn.jugem.jp/?eid=74

 

たくさんのドア

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アリスン・マギー 文  ユ・テウン 絵  主婦の友社

 

  きょうも あしたも あなたは

  たくさんの ドアを あけていく

  そのむこうに

  たくさんの あたらしいことが まっている

 

  あなたは どんなひとに なり

  いったい どこへ いくのだろう

  どうやって こたえを みつけて いくのだろう

 

最初に翻訳をしたのは2010年の秋。

アリスン・マギーの詩に、ユ・テウンが控えめながら味わいのある絵をあわせています。

 

  やわらかな のぞみに つばさを つけて

  あなたは はばたきはじめる

  あなたは まだ しらない

  じぶんが どれほど つよいかを

 

子どもたちは、今日も明日も新しい世界の扉をあけるように生きていきます。

日々のくらしもさりながら、卒業や入学などの大きな節目は、ドアのむこうがわの景色がみえないので不安でもあるでしょう。

そのきもちに寄り添いながら、アリスンの言葉のゆりかごは波のように揺れ、内なる自信と期待を高めていきます。

 

  あなたは まだ しらない

  じぶんが どれほど いさましいかを

 

そう語られれば、子どもたちは、みずからの心をのぞきこみ、じぶんにもまだ未知の勇ましさがあるのだろうかと静かに問うのではないかしら。

これは旅立つ子どもたちへの言祝ぎです。

もっとも、こたえは、みつかるとはかぎりません。

それでも…

 

  あなたは おおぞらに りょうてを さしのべる だいち

  うたわれるときを まっている うた

 

  はるばるとした おおきなものに

  あなたは まもられている

  なにがあろうと

 

じつはさいごの1文は You are loved more than you know. です。

けれど、わたしは「愛されている」とは訳しませんでした。

このloveには主語がありません。

愛しているのは、だれでしょう。

親、祖父母、先生達、まわりの大人達、ともだち。

西洋の文化ではやはり 神の愛をすぐに思いうかべます。

けれどアリスンはキリスト教的な神を念頭においていたわけではなく、もっと大きな、矛盾も不条理もはらむ宇宙的なものだと教えてくれました。

そこで、こんな訳文になったという次第です。

 

それにしても。

今日も明日も、あたらしいドアをあけていくのは、子どもたちや若い人たちだけではないようですね。

年をとり、世の中のたいていのことには慣れっこになってしまった年代にとっても、生きていくことはやはり新しいドアを日々あけていくことなのだと、最近、90歳の老父の最期を看取ったわたしは思っています。

 

 

さて。

この美しい、けれど地味な一冊が、それなりに評価されたものの、じきに書店から消えてしまったとき、わたしは大して驚きませんでした。

この種の落胆は数えきれないほど味わってきて、鉄壁の免疫ができていますから。

 

むしろ、驚きのあまり椅子から落ちそうになったのは、毎年毎年、卒業入学シーズンになると全国の読者から「あの本が手に入らないのは困る」という問い合わせが寄せられ、それによって主婦の友社が復刊を決断したときいたときでした。

その顛末は、こちらに書いてありますので、お時間がゆるせばお読みください。

  http://chihiro-nn.jugem.jp/?eid=2

  http://chihiro-nn.jugem.jp/?eid=15

 

右が原書。中央が2010年版。

そして左が2018年の復刊版です。

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復刊版は、そのことが明白にわかるように、表紙のデザインもあえて変えてあります。

原書と2010年版は タイトルが主役でしたが、復刊版は絵を主役に据えました。

 

そして復刊版は、コープロ印刷ではなく、国内印刷です。

コープロ特有の紙と印刷の制約がなくなると、どんないいことがあるかというと…

 

2010年のコープロ版は、扉にカラーインクを使うことができなかったので、灰色のみ。

さびしいですよね。喪中欠礼葉書みたい…。

復刊版では葉っぱを緑色にすることができたので、流れが自然になりました。

見返し紙の色もすこしちがいます。

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カバーをはがしてみてください。

本体の紙も、ほら、こんなにちがうのですよ。

コープロ版は青味をおびた白のつるつる。一般的に欧米の紙は青白く、発色はよいのですが、やや冷たく感じます。

復刊版は、ざっくりとした手触り感のある温かい色の紙です。

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紙の本は、手で触れながら読むものだから触感をたいせつにしたいというのが、デザイナーの水崎真奈美さんの考えだからです。

 

「たくさんのドア」を愛して、もういちど命をふきこんでくださったみなさん。

ほんとうにありがとうございます。

小さなともしびとして、この先も手から手へと、わたされていくことを願っています。 

 

 

編集は 浜本律子さん。復刊版担当は 山口香織さん。

装丁は どちらも水崎真奈美さん。

荻原規子の挿絵担当

これは王国のかぎ

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荻原規子 作  理論社

 

忘れられない瞬間というのはあるもので、出版されたばかりの『空色勾玉』を書店でみつけて手をのばしたときのことを、切り取られた画像のようによく憶えています。

その瞬間を起点として子どもの本の仕事をするようになったので、ご本人は与り知らぬこととはいえ、荻原規子はわたしにとって別格の作家です。

 

だから、その後も「勾玉シリーズ」を書いていた荻原さんが、ふと横道にそれて(?) 『これは王国のかぎ』を書き、挿絵をわたしにと指名してくれたときには舞い上がりました。

『ふしぎをのせたアリエル号』の挿絵を気に入ってくれたというんですもん。

はりきっちゃいましたよー。

 

挿絵をみて、読みたい本をきめる子どもは多いものです。わたしも、そうでした。

挿絵って、ほんと大切。そして難しい。

(なのに報酬が少ない…。挿絵画家の質と待遇改善委員会を発足させたいくらいだ)

 

荻原規子さんとは、その後、何度もお目にかかっているけれど、いつだって初恋の人に同窓会であうみたいにドギマギして落ち着きません。

 

編集は芳本律子さん。

装丁は太田大八さん。

太田大八さんの装丁なんて畏れ多いですよね。でも表紙の背景色はこの色ではなく、深い赤にしてほしかったの…涙。

 

グリフィンとお茶を

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荻原規子 著  徳間書店

 

…とまあ、そんなわけで特別なヒトである荻原さんから、徳間書店の文芸PR誌「本とも」に連載する原稿に絵を描いてといわれたときは、一も二も無く「ハイ」と頷きました。

連載当時のタイトルは「アニマ・アニムス・アニマル」。

荻原さんが毎回、動物のでてくる物語についての随想を書くというものでした。

 

私は送られてきた原稿をよんで、ひぇ、こんどは虎かよ、竜かよ、カエルのケロちゃんかよと慌てて資料をさがし、読書家の荻原さんがとりあげる本すべてを意地で読破し、ちゃっちゃか絵をかくこと20ヶ月。

荻原さんとの仮想対話がたのしい仕事でした。

〆切はいつもスリリングでしたが…。

 

その連載をまとめた一冊です。

荻原規子ファンは必読ですよ。

 

編集は村山晶子さんと、上村令さん。

装丁は百足屋ユウコさん。

表紙(カバーをめくった本の本体)の青が理想としていたウェッジウッドブルーよりだいぶ濃くなってしまったのが残念ですが、お洒落な大人カワイイ本になりました。

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