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クリスチャン・ロビンソンの絵本
ことりのおそうしき
マーガレット・ワイズ・ブラウン 文 クリスチャン・ロビンソン 絵 あすなろ書房
原題は "The Dead Bird"。
アメリカ黄金期の絵本を数多く手がけたマーガレット・ワイズ・ブラウンが1938年に書いた文章に、近ごろ大人気の若い画家クリスチャン・ロビンソンの絵が新たな命を吹きこみました。
マーガレット・ワイズ・ブラウンの文章は詩です。
読者の五感に、かるくぽんぽんとさわっていく魔法の杖のような言葉だと、わたしは感じます。
そのとたん、目にうつるもの、かすかな音、におい、味、肌触りなどがまざまざとよみがえり、世界に初々しく対していた頃のきもちに近づくのです。
わたしも、何度も、小鳥の亡きがらを手のひらにのせた子どもでした。
手のひらからしたたり落ちていく命をみつめ、かなしみ、お墓をつくると高揚し、安堵し、そしていつしか忘れていきました。
すこやかな子どもたちを静かにみつめる作者と画家の目が、とてもすきです。
かつてレミー・シャーリップの絵による本が、与田準一さんの翻訳で岩波書店から出版されていましたが、現在は入手困難なようです。
クリスチャン・ロビンソン版のこの本も、永遠に変わらないであろう子ども心を掬いとった作品として読みつがれていってほしいものです。
がっこうだってどきどきしてる
アダム・レックス 文 クリスチャン・ロビンソン 絵 WAVE出版
原題は "School's First Day of School"。
「学校にとっての、学校のさいしょの日」という意味。ややこしいですね。
(タイトルについては悩みました…)
物語は建設現場の風景からはじまります。
新しく建った建物には「がっこう」と書いてありますが、なにしろこの建物は生まれたてほやほやなので、「がっこう」が何のための建物かがわかりません。
やがて用務員がやってきて、「がっこう」の中をぴかぴかに掃除してくれます。
「がっこう」は用務員がすきになり、「ぼくは、きみの家なの?」と期待をこめてたずねるのですが、あっさり否定されます。
それどころか、じきに子どもたちが大勢やってくるときいて、「がっこう」は不安になるのです。
そして、学校のさいしょの日。
「がっこう」は、どきどきしながら、子どもたちをうけいれます。
なんとまあ、いろんな子どもたちがいるのでしょう。
「がっこう いやだあ!」と泣く子もいれば、大笑いも、けんかも、仲直りも。
それをずっとみつめていた「がっこう」は、一日のさいごにつぶやくのです。
「あのこたち、あしたも また きてくれると いいなあ」
すると用務員はこたえます。
「きっと くるよ。 あしたも、あさっても。
そして もっと がっこうが すきになるさ」
すべての学校が、子どもたちをみつめ、やさしく包み込む素敵な場所でありますように。
おじさんとカエルくん
リンダ・アシュマン 文 クリスチャン・ロビンソン 絵 あすなろ書房
雨がふっています。
あっちのマンションの窓で、おじさんが吐き捨てるようにつぶやきます。「雨か!」。
こっちのマンションの窓で、男の子が歓声をあげます。「雨だ!」。
それぞれ、みじたくをして、おでかけ。
おじさんは、ぶつぶつと雨をのろい、通りかかる人をしかめっつらで、にらみつけながら。
男の子は、カエルのレインコートをきて、カエルのようにぴょんぴょんとびはね、笑顔をふりまきながら。
そしてふたりは、おなじカフェで、となりのテーブルにすわります。
さてさて、なにが起きたのでしょう?
あのしかめっつらおじさんが、帰り道ではケロケロわらい、水たまりをぱしゃぱしゃふんでいきますよ。
ところで。
ふたりが行き会わせたカフェの名前は「あめでもはれでもカフェ」。原文は"Rain or Shine"カフェだから、まあ、文字どおりの翻訳です。
でも、英語の rain or shine には「晴雨にかかわらず、なにがあっても」という意味があります。
したがって、このカフェは、どんなお天気でもご来店くださいという意味にくわえて、どんな気分のときにもどうぞという意味があるのでしょうし、さらに本全体のメッセージとして考えると、人の一生のどんな局面であってもという含みがあるように思います。
いい日ばかりではない人生を、あなたは笑顔ですごしますか、それとも文句ばかりのしかめっつらですごしますかと、ささやいているように思われます。
そんな深読みも可能で、でも、わざとらしくない店名はないものかと、うんうん、唸って考えましたが…
「晴雨カフェ」「降っても照ってもカフェ」「全天候型カフェ」
「なにがあってもカフェ」「どんなときにもどうぞカフェ」「人生カフェ」
…あきらめました。しくしく…(;o;)
絵本の翻訳は、ひらがなが殆どですし、絵にはめこむ場合は、そのスペースにふさわしい長さでなくてはなりません。もちろん、文化的なちがいもあります。
たまには、原文よりいいかもねとムヒムヒほくそ笑むときもありますが、これは、ざんねんなケースです。
でもまあ、そんな翻訳家のちっぽけな敗北感はなんのその、色がきれいでポップで、絵をよむ楽しさに満ちた絵本です。
1986年生まれの画家クリスチャン・ロビンソンは、この絵本の頃から急に有名になり、いまやひっぱりだこ。
小さなころは、きっとカエルくんだったんだろうなと思える笑顔の青年です。写真だけでも、ごらんください。