わたしの本のこと

デイヴィッド・ルーカスの絵本

ナツメグとまほうのスプーン

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デイヴィッド・ルーカス 作絵  偕成社

 

「カクレンボ・ジャクソン」の愛らしい絵、古典と新しさを融合させたチャーミングな作風で世界を魅了したデイヴィッドの2作目。

表紙には、かわいらしい赤毛の女の子とキラキラした星が舞っています。

ところが表紙をひらくと、そこは暗く寒々しく、鉄錆色に荒れはてた世界。

しかも最初の文章は、いきなり…

 

  あさごはんは いつも ダンボール。

  ひるごはんは いつも ひも。

  ばんごはんは いつも おがくず。

 

なにこれ? なによこれ?

わけがわからないまま胸がきゅうっと締めつけられて、デイヴィッド・ルーカスという人物、ただものではない……と思ったのでした。

それでもやっぱり、かろやかなユーモアと、ノスタルジックなおとぎ話の味つけ、絵と色の美しさは保証つきです。

 

くじらのうた

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デイヴィッド・ルーカス 作絵  偕成社

 

3作目は、海と空の深い青に染まった絵本です。

海辺の町に、どどーんと、打ち上げられてしまった鯨と、町の人たちのお話。

町と鯨をすくうには、どうしたらよいのか。

いろいろ知恵をめぐらせたあげく、風や月や太陽にも相談をして、とほうもない大きなスケールで、みんなは待つのです。

 

  かぞえきれないほど たくさんの ほしたちは、もちろん、

  たがいに あれこれ そうだんするじゃろう。

 

満天の星の語りあう音がきこえてきそうな頁が、とてもすきです。

ロボットとあおいことり

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デイヴイッド・ルーカス 作絵  偕成社

 

働くだけ働いて、心臓が壊れたロボットは、ゴミの山に捨てられてしまいました。

胸がからっぽなのに、話し相手すらいません。

そこへやってきたのは、南の国へ渡りそびれた青い小鳥……。

有名なおとぎ話をいくつか下敷きにしながら、デイヴィッド・ルーカスは現代をみつめ、そこから新たなおとぎ話を紡ぎだします。

 

大人と子どもがわかちあえる絵本で、誰かが誰かの心にすみはじめる瞬間の心のゆらぎをこれほど繊細に描いた作品を、私はほかにしりません。

ほらふきじゅうたん

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デイヴイッド・ルーカス 作絵  偕成社

 

古いお屋敷の暗い室内に、大理石の少女像が置かれています。

台座に刻まれた文字は「フェイス」。「信じる」という意味です。

ある午後、大理石の少女フェイスは深い眠りからめざめて、呟きます。

「わたし、ここでなにをしているのかしら」

 

すると足もとに敷かれた虎の絨毯がこたえます。

「きみは魔法で石にされたんだよ」

フェイスは、いつか魔法がとけて、やわらかなほっぺたの女の子にもどれると信じるようになります。

 

ところが、虎の絨毯はぺらぺらしゃべりつづけます。

「ほんとうのことを信じてもらえないとき、人はうそをつく。

おれが話したのはうそばかり。なにひとつ、ほんとうじゃないのさ」と。

 

なにが本当で、なにが噓なのか。

フェイスは混乱します。読者も。

 

ふしぎな物語です。

曖昧とした余韻のなかに、古い宝石箱のように何かがきらめいているような…。

それこそが真実というものかもしれません。

 

作者デイヴィッド・ルーカスは「哲学を、難解な言葉ではなく絵本のポエジーで語ってみたい」と話していました。

哲学と、詩情。

折にふれて読み返す一冊です。

ピーター・レイノルズの絵本

っぽい

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ピーター・レイノルズ 作絵  主婦の友社

 

ラモンはとてもたのしく絵を描いていたのに、おにいちゃんに「ちっとも似てないじゃん」と笑われて傷つき、ぷっつりと絵を描かなくなってしまいます。

そのラモンの心をすうっと広げてくれたのが、妹マリソルの「わたし、すきだよ。○○っぽい絵だもん」という言葉。

そうか、それでもいいのか…と、ラモンは自由になります。

 

表現するって、どんなことなのでしょうね?

そっくりに再現することではないはず。

ラモンの気づきは、絵にとどまらず、生き方まで広がっていきます。

 

そういえば、ラモンくんには、ピーター・レイノルズのべつな絵本のなかで前に会ったような…。

「てん」(谷川俊太郎訳 あすなろ書房)のラストにでてきた小さな男の子の成長した姿だろうと、私は思っています。どうですか?

 

現代は " ish "。

○○らしい、○○みたい、○○くらい…などの意味で、別の単語にくっつける小さなコトバです。

たとえば、30-ish といえば、30歳くらいのという意味。

曖昧にごまかす表現なので、あんまり格が高くないけれど便利なコトバ。

日本語にするなら「っぽい」だなと、私は早い段階で決意しておりました。

読みにくい、意味がまったくわからない、ゴミ捨ての本だと誤解されそう、などなどの至極真っ当な反対を押し切らせていただきました。(^o^)

装丁家、水﨑真奈美さんの描き文字がかっこいい。

 

こころのおと

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ピーター・レイノルズ 作絵  主婦の友社

 

小さなラジは、ピアノで遊ぶのがだいすきでした。

たたくと、いろんな音が とびだしてくるし、

ペダルをふめば、水彩絵の具のように 音がにじむ。

 

夢のような音色に驚いたお父さんは、ラジに音楽の才能を認めて、ピアノを習わせます。

まじめなラジは一生懸命練習をして、どんどん上達します。

ところが上手になればなるほど、ピアノを弾くことが楽しくなくなってしまったのです。

 

やがてラジは社会人になり、ピアノをやめて、家を出ていきます。

音楽の消えた家で、お父さんは、ひとりしずかに老いの時間を重ねていきます。

 

そしてあるとき倒れて、ラジが呼ばれます。

「なにか、僕にしてほしいこと ない?」

たずねたラジに、お父さんは頼みます。

小さなころ、いかにも楽しげに弾いていた曲名のない音楽を奏でてほしいと。

 

 

作者ピーター・レイノルズの文章が寄せられています。

 

  病床の父と、父の瞳に輝きをとりもどしたいと願う私のあいだに、

  ことばはありませんでした。

  かたちをもたない感情がゆきかうばかり。

  それにもっとも近いものが音楽だったのです。

 

 

テスの木

テスの木

ジェス・ブロウヤー 文  ピーター・レイノルズ 絵  主婦の友社

 

テスは、6歳です。

そしてテスの家の庭にある大きな木は、175歳です。

テスは、この木がだいすきで、まいにち、木の下で遊びました。

 

けれども嵐が来て、木の枝が折れてしまいます。

内側が腐っていて危険だと、伐採されてしまうのです。

 

テスは、怒りました。

さんざん、泣きました。

そしてふと、お葬式をしてあげようと思いつきます。

 

お葬式には、近所の人にくわえて、テスの知らない人たちもやってきました。

長く生きた大きな木には、たくさんの思い出があったのです。

テスはもう、泣きません。

 

喪失の悲しみを和らげ、未来へとつなぐ方法がやさしく語られています。

  

いちばんちいさなクリスマスプレゼント

いちばんちいさなクリスマスプレゼント

ピーター・レイノルズ 作絵   主婦の友社

 

ローランドは、クリスマスにもらえるプレゼントを、とても楽しみにしていました。

ところが今年のプレゼントは、今まででいちばん小さかったのです…。

(おとなは、上等なプレゼントはたいてい小さな箱に入っていることを知っていますけどね)

 

ローランドは、怒ります。

眉間に皺をよせ、目をぎゅっと閉じて、願います。

「どうか おおきな プレゼントに かえてください」

 

目をあけると…

おっ、サイズアップしてるではないか!

 

だったら、もうちょっと大きいのがいいな。

うん、いいぞいいぞ。

でも、どうせだったら、もっとずっと大きいほうがいいな。

 

ローランドの願望はとどまるところを知らず、ついにはなんと、ロケットに乗って宇宙空間に飛び出してしまいます!

なんと壮大な…。

 

ところが。

広大無辺な宇宙を飛ぶロケットから眺めると、ぽつんと小さな青い星がみえるのです。

あの小さな星の中に、ぼくのたいせつなものが、ぜんぶ、つまっているんだね。

ローランドの胸が、きゅうっと痛くなりました。

ローランドは、目をそっと閉じて、心の底からしずかに祈りました。

すると、ほら……

 

クリスマスの幸福を描いた小さな絵本。

ピーター・レイノルズが、息子のヘンリー・ロケット・レイノルズくんに捧げた一冊です。

 

 

 

そらのいろって

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ピーター・レイノルズ 作絵  主婦の友社

 

マリソルは、絵を描くことが大好きな女の子。

学校のみんなで大きな壁画をかくことになり、マリソルは空を受け持ちます。

ところが、困ったことに青い絵の具がみあたらない!

青がなかったら、空なんてかけるはずないのに…。

そのときマリソルは空をみあげます。夕方の空を、夜空を、夢のなかでも。

空は青くない!

豊かな色にみちた世界がひろがり、マリソルの心に絵をえがく喜びがみちあふれるのです。

 

このマリソルは、はい、すでにお気づきの方もいるでしょうが、「っぽい」でラモンに「わたし、その絵 すきだよ」といった妹です。

うむ。やっばり、「てん」→「っぽい」→「そらのいろって」は、お絵かき三部作ですね。

 

マリソルはその後、画家になったことでしょう。

でもラモンは、絵描きにはならなかったと思う。詩人になったのではないかしら。

そして「てん」に出てきたワシテは、学校に先生になったのかも。

子どもが絵をかくのは、画家になるためではありません。

もっと広く豊かな可能性のため、人生をよりよく歩むためです。

 

我田引水的ですが、拙著「おえかきウォッチング」もごらんください。(^^)/

 http://chihironn.com/menu/566056

 

びじゅつかんへいこう

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スーザン・ベルデ 文  ピーター・レイノルズ 絵  国土社

 

美術館へやってきた女の子。

バレリーナの絵をみれば踊りだし、キュビズムの絵にはあかんべをし、抽象画をみて笑いころげます。感じたままに、からだで反応。

解説やタイトルから「正しい鑑賞」を探ろうとはしません。

そして深い満足とともに、美術館をでていきます。

 

  わたしの むねの なかは

  どっくん どっくん あたたかい。

  びじゅつかんが まるごと はいっているみたいにね。

 

この子が靴をはいていないのが象徴的かも。

こんなふうに、よけいな身構えなしに、ふだんの気分で作品とむきあえるのがうらやましい。

鑑賞者の心のもちようもさりながら、美術館の環境整備にも改善すべき点はあるよなあ…と、先日でかけた美術展の大混雑を思い出して、ちょっとためいき…。

 

ゆめみるハッピードリーマー

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ピーター・レイノルズ 作絵  主婦の友社

 

原題は Happy Dreamer ですが、著者のピーターが構想段階でつけていたタイトルは Amazing Delightful Happy Dreamer でした。

そう、これはADHDといわれる子どもたちへの応援歌なのです。

 

「てん」や「ちいさなあなたへ」をはじめ、数々のヒット絵本を創り出したピーターも学校では苦労をしたようです。

それでも自信と誇りをもって、みずからを「ハッピードリーマー」だと言い、ADHDといわれた子どもたちへ熱いメッセージを送ります。

 

   きみやぼくのように夢をみる人、つまりドリーマーの人生には、

       おもしろいことがたくさん待ちうけています。

   いま地球がかかえるさまざまな問題には、

       古い考えにとらわれない創造的な頭脳が必要なのですから。

 

発達障害とよばれる子どもたちの近くにいる大人たちに、ぜひ読んでいただきたい絵本です。

ピーターの思いを汲んで、日本語版の帯には「Aあなたは Dだいじな Hハッピー Dドリーマー」と入れました。(^o^)

きょうりゅうたちシリーズ

きょうりゅうたちのおやすみなさい

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ジェイン・ヨーレン 文  マーク・ティーグ 絵  小峰書店

 

はじめて読む人は、目がぱちくり。

だって、けっこうリアルなきょうりゅうたちが、子ども部屋で遊んだり絵本を読んだりしているのです。

そこへ人間のお父さんやお母さんがやってきて「もう ねるじかんだよ」と言います。

すると、きょうりゅうたちは、ゆかをどすんどすんと踏みならしたり、ほえたり、あばれたりで「ねむくないよー!」……。

 

そう、きょうりゅうたち= こどもたち なのです。

泣きわめく子どもがきょうりゅうに見えた経験者は多いはず…(-_-)

でも、ご心配なく。さいごにはちゃんと、すやすやとねむってくれます。

本のさいごの文章も

 

  おやすみなさい。

  うちの かわいい きょうりゅうちゃん。

 

つまりは教育絵本なのですが、なにしろ、きょうりゅうたちの暴れっぷりが痛快なので、読んでいる子どもたちは、にやにやして、ぼくはここまで悪い子じゃないよと思うみたいです。

心の中でじゅうぶん解放されて、すんなりいい子になってくれるかも…(?)。

10種類のリアルな恐竜が登場し、名前もついているのが図鑑のよう。

その名前が隠し絵っぽいところも、おたのしみのひとつです。

 

きょうりゅうたちがかぜひいた

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ジェイン・ヨーレン 文  マーク・ティーグ 絵

 

こどもたちを、リアルでユーモラスなきょうりゅうの絵でえがく「うちのきょうりゅうたち」シリーズ2冊目です。

大人でもそうですが、体調のわるいときは、きげんもわるい。

病院へいくのをいやがり、ひいひい、ぐずぐず。

なんでもかんでも やだもんやだもんの わからんちん。

親子の攻防戦に笑えます。

 

 はやく げんきに なってね、

 うちの かわいい きょうりゅうちゃん。

 

1冊目とはちがう恐竜たちが10種類登場しますよ。

 

きょうりゅうたちのいただきます

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ジェイン・ヨーレン 文  マーク・ティーグ 絵  小峰書店

 

こどもたちを、元気でリアルなきょうりゅうとして描くシリーズの3冊目は食育です。

きらいなものは断固拒否してたべなかったり、牛乳でぶくぶくしちゃったり、口いっぱいにほおばって、おしゃべりしたり。

いろいろありますよね、たべるよりも、まず叱らなくちゃいけないシーン…。

一応、教育絵本ですが、きょうりゅうたちが大暴れしてくれるので、お説教くささがふっとぶ大らかさが魅力です。

 

10種類のきょうりゅうの名前は、英語と日本語で書いてあります。

ここじゃすぐに見つかってつまらないかな、これじゃ難易度たかすぎるかな、などと考えながら、描き文字専門の方にかいてもらった日本語名を絵の中にひそませました。

 

 たくさん たべて おおきくなってね、

 うちの かわいい きょうりゅうちゃん。

 

 

 

きょうりゅうたちがけんかした

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ジェイン・ヨーレン 文  マーク・ティーグ絵  小峰書店

 

いやあ、迫力ありますね。

なんたって、きょうりゅうのけんかですもん。

どしーん、どすーんと、地響きが聞こえてきそう。

わたしは、涙を流しながら「あのこが さきに やったんだもん」と、うその告げ口をするナストケラトプスちゃんが好きです。

 

仲直りしたいのに、「ごめんね」が言いだせないこどもたちに、いろんな仲直りの方法を紹介します。

ああ、もう4冊目になると、巷のこどもたちがみんなきょうりゅうに見えてきます…。。

 

 ほーら、なかなおりって いいきぶん。

 どのこも かわいい きょうりゅうちゃん。

 

きょうりゅうたちのクリスマス

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ジェイン・ヨーレン 文  マーク・ティーグ 絵  小峰書店

 

元気なこどもたちをリアルなきょうりゅうの姿でえがく、このシリーズ。

もちろん、クリスマスがやってきます。

お祭り気分にそわそわ、わくわく。

ツリーをじゃらじゃら揺らしたり、きれいな箱をみつけたら紙をやぶってあけちゃったり、サンタさんがくるまで寝ないでみはっていたり…。

まちきれないんだよね。わかるわかる!

でもね、ふくらむ期待を、そおっと大切に胸もとに抱いて待つことって、とても大切なんだよ。

それは喜びを何倍にも大きくしてくれるから。

 

  さあ、プレゼントは なんだろう?

  メリー・クリスマス、

  うちの かわいい きょうりゅうちゃん!

きょうりゅうたちも ペットをかいたい!

きょうりゅうたちも ペットをかいたい!

ジェイン・ヨーレン 文  マーク・ティーグ 絵

 

「ペットを かいたいよぉ〜!」と泣きわめいて親と攻防戦をくりひろげる きょうりゅう(=子ども)たちの物語…ではありません。

 

冒頭、おとうさんとおかあさんから、魅力的な提案があるのです。

「うちも そろそろ ペットを かおうか」

ペットを飼うことの意義を理解している両親のようです。すてき、すてき。

 

だけど、ひとくちに「ペット」といっても、いろんな選択肢がありますよね。

ワイルドな きょうりゅう(=子ども)たちが突っ走った先は、なんと動物園!

力任せに、トラやゾウを誘拐してきちゃいます…。

 

いやいや、ちょっとまて、それはちがうから…(^_^;)。。

ということで、どんな動物を、どこで入手するのが望ましいのかという動物愛護のテーマに、ぐぐーんとシフトするのです。

 

このシリーズは破天荒なファンタジーのようで、じつは真っ当な「しつけ絵本」。

くすくすにやにや笑わせながら、人と野生動物たちとのかかわりに目をむけさせるあたりがニクいです。

 

翻訳過程の裏話は、こちらから→http://chihiro-nn.jugem.jp/?eid=87

 

 

 

きょうりゅうたちの おーっとあぶない

きょうりゅうたちの おーっとあぶない

ジェイン・ヨーレン 文  マーク・ティーグ 絵  小峰書店

 

元気な子どもたちをパワフルきょうりゅうとして描く、このシリーズ。

7冊目は安全教本です。

階段で、庭先で、路上で、プールで、食事中にだって、子どもの暮らしにはヒヤッとすることがたくさん起こります。

どうすれば防ぐことができるのか。

 

子どもたちが喜ぶ絵本だからこそ、くすくす笑いながらいっしょに考えてほしいという、作者たちの思いがつたわってきます。

結びの言葉は…

 

  これで あんしん。

  もう だいじょうぶ。

  こわいことなんて

  ひとつも ないよ。

  のびのび たのしく あそぼうね、

  うちの かわいい きょうりゅうちゃん。

 

わたしたち大人の心からの願いですね。

 

装丁は、シリーズ最初からのきょうりゅう担当、木下容美子さん。

編集は、本の前袖に「元気いっぱいの こどもたちにおくる おまもり絵本」という素敵な文をいれてくれた西塔香絵さん。

 

制作過程の裏話は、こちらからどうぞ。

http://chihiro-nn.jugem.jp/?eid=103

 

 

きょうりゅうたちも ほんがよめるよ

きょうりゅうたちも ほんがよめるよ

ジェイン・ヨーレン 文  マーク・ティーグ 絵  小峰書店

 

元気な子どもたちを、大人のエネルギーを凌駕するきょうりゅうとして描く、このシリーズ

8冊目は識字教育絵本です。

 

本離れが懸念されて久しいですが、やはり紙の本は人類の偉大な発明だと私は思います。

その証拠に、まだ口もきけない赤ちゃんは、全員、絵本がだいすき。

なんだこりゃ? なんだか おもしろそう! 

そのきもちを損なわずに、本の楽しみを味わいつづけてほしいものです。

長い人生の友として。

 

ところで。

英語で育つ子どもたちと、日本語で育つ子どもたちでは、字を学ぶ過程がちがうようです。

翻訳でも、そのあたりが悩みどころでした。

だけど、悩んでもただじゃ起きませんぜ。

日本語版には、特別付録のカタカナ表をつけましたよ〜。ふっふっふ。

おたのしみください。

 

装丁は、シリーズ最初から担当の 木下容美子さん。

随所にちりばめられた書き文字も、シリーズ最初から担当の 斎藤美幸さん。

編集は、カタカナ表で私が投げた匙をひろって変化球を打ち返してくれた 西塔香絵さん。

 

英語と日本語の識字教育の違いや、翻訳の悩みどころについては、こちらに書きました。

http://chihiro-nn.jugem.jp/?eid=116#comments

 

美術の絵本

ゴッホの星空 フィンセントはねむれない

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バーブ・ローゼンストック 文  メアリー・グランプレ 絵  ほるぷ出版

 

ゴッホの少年時代からの歩みと、晩年の名画「星月夜」に焦点をあてた伝記絵本です。

キーワードは「フィンセントは ねむれません…」。

 

あまりにも面白く美しい物事に心がおどると、ねむれなくなります。

悲しみや焦り、怒りに心がさわいでも、ねむれなくなります。

なにかに激しく熱中しても、やはりねむれなくなるでしょう。

 

フィンセント・ファン・ゴッホの一生は、その連続でした。

絵本の作家バーブ・ローゼンストックによれば、ゴッホは夜型人間だったそうです。

明るい色彩のひまわりや南仏の景色の絵を思いうかべると意外な気がしますが、2008年には「星月夜」をお宝として所蔵するMOMAニューヨーク近代美術館で「ゴッホと夜の色」と題した展覧会も開かれています。

 

ゴッホが夜に目をさましていて、夜の時間を絵で表現したという具体的な意味もさりながら、バーブさんの献辞には、

 

  闇を知り、なおも 光をもとめる人たちへ

 

とありますから、「夜」とは心の闇やフィンセントの生き辛さも含んでいるのでしょう。

豊かな才能をもちながらも、まわりとうまく関われない子どもや若者は今も多くいます。

親や教師にも、その扉をあける方法がわからないことは、しばしば。

 

小学中学年くらいからたのしめるシンプルな絵本ですが、奥行きは深いと思います。

著者や訳者のあとがきも、読んでくださいね。

 

メイキングとちゅうの私の呟きは、こちらからどうぞ。 

 その1 http://chihiro-nn.jugem.jp/?day=20180413

 その2 http://chihiro-nn.jugem.jp/?eid=49

 その3 http://chihiro-nn.jugem.jp/?eid=56

 

 

編集は、絵描きとしての話もできる関谷由子さん。

装丁は、青の魔術師、森枝雄司さん。

にぎやかなえのぐばこ カンディンスキーのうたう色たち

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バーブ・ローゼンストック 文  メアリー・グランプレ 絵  ほるぷ出版

 

抽象絵画をみるのは好きですか?

 

もしお好きなら、きっと楽しめるはず。

カンディンスキーが子どもの頃に色のささやく音をきいて、やがてその音を重ね、響かせあって重厚な交響曲をかなでる絵を描くようになった過程に共感できるでしょうから。

 

でも、もし抽象絵画ってよくわからないから苦手という方であっても、きっと楽しめるはず。

カンディンスキーは抽象絵画の父とよばれていますが、なぜこんな絵を描きはじめたのかが、とてもわかりやすく説き明かされています。

かたちの無いものを絵にしたかったんですって。

なにが描いてあるかわからなくて当然ですよね。

ぼんやりと心をひらいて絵の前にたたずみ、なにかを感じたらそれでOK。

なにも感じなかったら、波長が合わなかったということ。好きな音楽をさがすのと一緒です。

ね、気が楽になったでしょう。

 

そしてもし、べつに絵に興味はないという方であっても、やはりオススメです。

名家の跡取り息子で、頭脳明晰 (しかもイケメン)。

非の打ちどころのないお坊ちゃまだったカンディンスキーは親の期待どおり、法律家として出世街道を進んでいたのに、すべてを投げうって一から絵の勉強に身を投じます。

とても遅いスタートでした。

なんかしっくりこない…という違和感を原動力に、人生の舵を大きく切った遅咲き青年の物語でもあります。

 

絵画とおなじく、絵本も、さまざまな楽しみ方を歓迎いたします。

そうそう、これから、おなじ作者と画家のコンビによる、ゴッホ少年の絵本を翻訳します。

芸術の秋あたりに出版できるといいな。

いろのダンス

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アン・ジョナス 作絵  福武書店

 

ダンスの発表会です。

赤、黄色、青、そして白黒のレオタード姿の四人の子どもたちが、それそれの色の薄布をもって舞台に登場します。

 

  それでは ダンスを はじめます

  あか きいろ あお

  だいだいいろは あかと きいろを まぜた いろ

  あおは おやすみ

 

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  みどりは きいろと あおを まぜた いろ

  むらさきは あかと あおを まぜた いろ

 

こんなぐあいに、三原色による混色が わかりやすく描かれていきます。

 

  あかに あかを まぜても あか

 

というページもあり、単色濃淡のベールもすてき。

反対に、ぜんぶの色をまぜると…

 

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水彩絵の具のパレットや水入れが暗く濁った経験は、だれにもありますよね。そうか、三原色をまぜたからなんだねと納得できることでしょう。

勘の良い子は、茶色って、赤と青と黄色で作れるんだ!?と 気づくかも。

白や灰色、黒をまぜたときの変化も、ダンサーたちのベールで表されています。

 

はい。

これは徹頭徹尾、実用書、あるいは技法書であります。子どものお絵かきのための。

小学校の学級文庫に収められ、水彩のお絵かきの時間になると「むらさきって、どうやって作るんだっけ?」「いろのダンス、いろのダンス!」と、みんなが見にいく話をききました。

なにより、とてもとても美しい。

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 子どもたちに図工や美術を教えるのは、じょうずな絵をかかせることが目的ではありません。

きれいだなあ…と  心がうごく一瞬があれば、目的は半分以上達成されたというべきでしょう。

それにくわえて、じぶんでもこういう美しいものをうみだしたいきもちが芽ばえたなら、ほぼ目的完遂。

そのとき紙の上の結果に満足しなかったとしても、まったくかまいません。その子は一生、美しいものへの憧れを胸にいだく人になるでしょうから。

教育って、未来への種を蒔くことですものね。

 

とまあ、それくらい大好きな絵本ですが、絶版です。しくしくしく…。 

石の巨人 ミケランジェロのダビデ像

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ジェーン・サトクリフ 文  ジョン・シェリー 絵  小峰書店

 

ミケランジェロのダビデ像は、まぎれもなく、ルネッサンス芸術の大傑作のひとつです。

でも、はじめから人類の至宝だったわけではありません。

ばかでかいわりに質の悪い大理石の塊として、フィレンツェの街中にころがされたまま、40年近く邪魔物扱いされていたそうです。

都市国家フィレンツェの議員たちがダビデ像を作らせるために購入した石らしいのですが、予算をけちったのかしらね…。

何人もの彫刻家が、ちょこっと彫っては放りだし、あのレオナルド・ダ・ビンチでさえ、石をちらりとみるなり「おことわりだな」と言ったとか。

 

その大理石に挑んだのが、当時26歳のミケランジェロ。

議員たちは、ほっとしたそうですよ。少なくとも巨大な石の処分ができそうだと。

ミケランジェロは約3年の歳月をかけて、今にも動きだしそうな若きダビデを彫りだし、みんなを感動させました。

500年以上も前のお話です。

 

中世フィレンツェの風景や人々の服装、街のざわめきなどが生き生きと描かれた絵本です。

重機がない時代に彫刻家がどうやって巨大な石像を彫り、運搬し、設置したのかも、コマ割りの絵で詳しく見せてくれます。

この絵本を読んだ後にダビデ像をみたら、2倍も3倍も楽しめるはず。

 

画家のシェリーさんはイギリスの方ですが、日本で21年間暮らしていたので日本語も堪能です。

「石の巨人」の絵をもっとごらんになりたい方は、シェリーさんのHPをどうぞ。

https://www.jshelley.com/projects/4232660#1

日本語のブログもあるんですよ!

http://shelleyjapan.blogspot.jp

 

 

 

ペペットのえかきさん

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リンダ・ラヴィン・ロディング 文  クレア・フレッチャー 絵  絵本塾出版

 

ジョゼットは、芸術の都パリに住んでいる女の子。

ジョゼットの家には、家族の肖像画がかけてあります。

おかあさんの絵、おばあちゃんの絵、おじいちゃんの絵、おねえちゃんたちの絵、犬のフリゼットの絵。

おや、たいへん。ジョゼットのうさぎのぬいぐるみ、ペペットの絵がありません!

ジョゼットにとってペペットは、かたときも離れられないほど大切な仲良しなのに。

パリで一番じょうずな絵描きさんにペペットの絵をかいてもらわなくっちゃ。

 

最初にであった縞シャツの絵描きは、どうやらピカソさん。

自信たっぷりに、耳が3本、鼻がふたつあるペペットを描いてくれました。うーん、なんか違う…。

 

つぎに出会った自転車のハンドルみたいなヒゲの絵描きは、どうやらダリさん。

ぐんにゃり溶けたペペットの絵をかいてくれました。うーん、これも違う…。

 

つぎは、どうやらシャガールさん。

それから、どうやらマティスさん。

でも、みんな、なんか違うのです…。

 

それでもジョゼットは、最高にかわいいペペットの絵を飾ることができました。

さて、だれが描いてくれたと思いますか?

 

たしかにピカソもダリもシャガールもマティスも、1920年代のパリでくらしていたようです。

彼らがモンマルトルの広場にイーゼルをたてて、ぬいぐるみのうさぎの絵を描いたかどうかは不明ですが、ジョゼットがみつけた答えには、絵を描くことの本質がふくまれていると、わたしは思います。

 

 

おえかきウォッチング 子どもの絵を10倍たのしむ方法

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理論社

 

絵本ではありません。物語でもありません。

絵を描く子どもたちの近くにいる方のための「実用書」のつもりです。

かつて、明星大学で美術教育の講師をしていた5年間に考えたことや、学生たちとともに作り上げた愉快なワークショップをまとめました。

幼い子どもが描くぐちゃぐちゃの絵は、あなどれませんぞ。へえ〜と感心するようなロジック、そして野の花のような成長の道筋があるのです。

それを知ると、子どもの絵を見ることがたのしくなります。

バードウォッチングをするときのポケット図鑑のように使っていただければうれしいな。

子どもたちの絵を大人がたのしむことで、ゆたかな時間がうまれ、なによりの創造性教育になると信じます。

絵を描くことに苦手意識をもつ方や、子どもに絵をどう教えたらよいのかわからない方にこそ、読んでいただきたいと願っています。

 

目次

 1   はじめての絵は、いつ?

 2   げんきな なぐりがき

 3 マルのおはなし

 4 うごきだすマル

 5   なんでもかけるよ

   6   地に足がつく

 7 へんてこりんな絵!?

   8 またおんなじ絵〜!?

   9 男の子の絵・女の子の絵

  10 色がすき? 線がすき?

  11 めざめよ触覚!

  12 現代絵画は子どもの絵?

  13 じょうずな絵って、なんだろう?

 

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フランソワーズの絵本

ありがとうのえほん

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フランソワーズ 作絵  偕成社

 

 コケコッコー !  おはよう おんどり ありがとう

 きょうも ぱっちり めが さめた

 あさごはんに ゆでたまご

 かわいい めんどり ありがとう

 

こんなふうに、つぎつぎと いろんな「ありがとう」がつづられます。

ふわふわと あまい砂糖菓子のような絵とともに。

にわの さくらんぼにも、わたしや だいじなものを まもってくれる おうちにも、ありがとう。

そして さいごに

 

 こんなに すてきなものを いっぱい くれた かみさま

 ほんとに ありがとう

 

ゆっくりと声にだして読んでいると、しだいに心の固い殻がほどけてきます。

あたりまえのことの尊さを、しっかり味わえる人でいようと、にっこりしてしまうような絵本です。

 

この絵本を作ったフランソワーズには、ちゃんと苗字もあります。正しくはフランソワーズ・セニョーボ。1897年にフランスで生まれて、のちにアメリカへ移住した画家です。

「まりーちゃんとひつじ」は、とても有名ですね。幼いわたしの愛読書でもありました。

クッキーに飾るアイシングを、むかしの本では「砂糖ごろも」と呼んでいましたが、フランソワーズの絵は、まさにその砂糖ごろものよう。

アイシングではなく、とろりとした、おさとうのころも。やわらかくて、あまくて、かわいらしい。

天衣無縫とは、この人の絵のことと思えるのびやかな愛らしさ。

 

けれども、以前、アメリカでフランソワーズの原画を手にとって眺めたとき、おおらかな絵の具の下に、うっすらと、とても細くてとても神経質な鉛筆の線があることに気づきました。

ま、そういうものかもね、と、にやりとした次第です。

 

 

わたしのすきなもの

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フランソワーズ 作絵  偕成社

 

  わたし いきものが すき

  けの ふわふわした いきものも

  はねの はえた いきものも

  けも はねも ない いきものも

  みんな だいすき

 

ほっぺの まあるい おんなのこが、うさぎや小鳥、てんとうむし、そしてイモリ?にかこまれて、にっこり。ああ、なんてかわいらしい…。

 

いちばん すきなのは、おうちのねこのミネットだそうですが、おんなのこの思いは はるか遠くへ とんでいきます。

おおむかし、世界中が洪水になったとき、はこぶねをつくって どうぶつたちをすくってくれたノア ありがとう、って。

 

おんなのこは ひとも すき。あかちゃんも おとしよりも おおきな ひとも ちいさな ひとも。

おうちが すき。 おいしいものが すき。 ピクニックが すき。 なつやすみも すき。

すきなものを たくさん たくさん あげていって、さいごの ページは…

 

 ほらね わたし すきなものが こんなに いっぱい あるの

 あなたの すきなものは なあに?

 

「ありがとうの えほん」と似た趣向ですが、こちらのほうがもっと積極的かな。

「ありがとうの えほん」の出版は1947年で、フランソワーズが50歳のとき。

「わたしの すきなもの」の出版は1960年。フランソワーズが63歳、亡くなる1年前です。

絵はさらにあかるく、愛らしくなっています。

こんな愛らしい絵をかいた晩年とは、いったい どのようなものだったのでしょうね。

 

おおきくなったら なにになる?

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フランソワーズ 作絵  偕成社

 

  ねえ ねえ みんな おしえて おしえて

  おおきくなったら なにに なりたい? 

  なにを する?

 

ページをめくると、そこは 「まりーちゃんと ひつじ」の風景。

 

  いなかに すんで ちいさなロバと アヒルと うさぎと 

  それから かわいい こひつじを かってみたい?

 

いかにも絵本っぽい夢物語と思われるでしょうが、当時ニューヨークで仕事をしていたフランソワーズは、休暇には故郷のフランスで田舎暮らしをたのしんでいたそうです。だからこれは彼女の現実。

むむむ、うらやましい。ちょっと見る目がかわってしまいますが(^_^;)、まあ、それはさておき、ふなのり、たんけんか、ペットやさん、ぼうしやさん…と いろいろな将来の夢が提案されます。ホテルのペットがかりも、おもしろそうですね。

 

この冒頭の原文は

  Tommy and Bobby, Jinny and Molly, Tony and Franny --

  all of you--tell me what do you want to be?

 

これをそのまま「トミー、ボビー、ジニー、モリー、トニー、フラニー」としないのも、こどもの絵本の翻訳家の仕事だとおもっています。

 

それにしても、ああ なんてかわいい……(ためいき)。

 

 

たのしいABC

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フランソワーズ 作絵  徳間書店

 

  Aのつくもの apple

      appleは りんご  

  ぼくは りんごうり   

  みなさん かってね おいしいよ 

 

というぐあいに、AからZまで。かわいい絵とともにアルファベットが紹介されます。

わたしのお気に入りは X。

 

  Xのつくもの  X

      Xで はじまる ことばは あんまり ない

  だから Xのクッキーを つくったよ

  いっしょに たべよう

 

1939年初版。フランス生まれのフランソワーズがアメリカに渡って仕事を始めてまもない頃の本です。

こういう古い絵本の翻訳には、独特のむずかしさがあります。

まず、原書が手に入らない! 学校や公共図書館のボロボロになった廃棄本を、まるで唐の国から渡来した仏典のように大切にスタッフ一同で共有することもしばしば。

とうぜんのことながら、原画が手に入らない! 運良くコレクターや美術館で保管されている原画の一部を見ることができたとしても、そこに至るまでに日に焼けて退色していたりして本来の色がわからないなんて、しょっちゅう。日本で出版されている美しい本は、編集者や装丁家、そして印刷所のみなさんの研究と努力の賜物です。

表現がいまの時代に合わない。 たまに差別的な表現もあります。

 

それでも、もういちど世に出したいと思わせる魅力にあふれる本たち。

古い本のリペア仕事、だいすきです。

クリスチャン・ロビンソンの絵本

ことりのおそうしき

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マーガレット・ワイズ・ブラウン 文  クリスチャン・ロビンソン 絵  あすなろ書房

 

原題は "The Dead Bird"。

アメリカ黄金期の絵本を数多く手がけたマーガレット・ワイズ・ブラウンが1938年に書いた文章に、近ごろ大人気の若い画家クリスチャン・ロビンソンの絵が新たな命を吹きこみました。

 

マーガレット・ワイズ・ブラウンの文章は詩です。

読者の五感に、かるくぽんぽんとさわっていく魔法の杖のような言葉だと、わたしは感じます。

そのとたん、目にうつるもの、かすかな音、におい、味、肌触りなどがまざまざとよみがえり、世界に初々しく対していた頃のきもちに近づくのです。

 

わたしも、何度も、小鳥の亡きがらを手のひらにのせた子どもでした。

手のひらからしたたり落ちていく命をみつめ、かなしみ、お墓をつくると高揚し、安堵し、そしていつしか忘れていきました。

すこやかな子どもたちを静かにみつめる作者と画家の目が、とてもすきです。

 

かつてレミー・シャーリップの絵による本が、与田準一さんの翻訳で岩波書店から出版されていましたが、現在は入手困難なようです。

クリスチャン・ロビンソン版のこの本も、永遠に変わらないであろう子ども心を掬いとった作品として読みつがれていってほしいものです。

 

 

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