わたしの本のこと

ジョン・クラッセンの絵本

アナベルとふしぎなけいと

マック・バーネット 文  ジョン・クラッセン 絵  あすなろ書房

 

 どっちを むいても しろい ゆき。

 そして えんとつから でる、くろい すす。

 

そんなモノトーンの世界で、アナベルは箱をひろいます。

なかに入っていたのは、色とりどりのきれいな毛糸。

アナベルはセーターを編みます。

カラフルで、あたたかそうなセーターを。

まだ毛糸がのこっていたので、犬のマースにもセーターを編んであげました。

うらやましくて、いじわるをした男の子にも。

めだちすぎだと叱った先生にも。

家族にも、町の人たちにも、動物たちにも、ボストにも、木にも、家々にも…。

編んでも編んでも毛糸はなくなることがなく、町の景色がかわっていきます。

すると海のむこうから、おしゃれで欲張りな王子が箱を奪いにやってくるのです。

 

でも、ご心配なく。

だって、色あざやかなくらしを、ひと針ずつちくちくと手もとから編みだすことのできる人が、ずっと幸せなのは、あたりまえですもん。

 

すみからすみまで、おしゃれな絵本です。

装丁家の城所潤さんが、ちくちくと手間をかけて、表紙のタイトルもセーター模様にしてくれました。

 

 

 

 

サムとデイブ あなをほる

マック・バーネット 文  ジョン・クラッセン 絵  あすなろ書房

 

サムとデイブは、おじいちゃんの家の庭で、大きな穴を掘りました。

なにか、すっごいものをみつけるまで、がんばって掘ることにしたのです。

 

 あなは ずんずん ふかくなり、

 ふたりは すっぽり あなのなか。

 けれど、なんにも でてこない。

 

「もっと ほらなくちゃね」

それでも、なんにも出てこないので、掘る方向をかえてみます。

横に掘ったり、ななめに掘ったり。

あとちょっとでみつかったはずの、すっごい宝物は、読者にしかみえません。

あはは、惜しい〜!

と、わたしたちは笑います。いわば、じぶんの運命をしらない人間たちを天上から余裕たっぷりにみつめる神さまの気分。

これって本を読む者の特権ですもんね。

 

サムとデイブは、さんざん掘ったあげく、くたびれはてて、ふかいふかい眠りにおちます。

するととつぜん、おっこちた。

おっこちて、おっこちて、まだまだおちて………………どすん!

と、おじいちゃんの家の庭の上。

やれやれ、くたびれたねと、おやつを食べに、おじいちゃんの家に帰っていきます。

 

え?

ちょっとまって! そこって、ほんとにおじいちゃんの家なの???

天上の神であったはずのわたしたちは、わけがわからなくなって、目をぱちくり。取り残された気分で、あわててしまいます。

なんともいえない、おかしみを味わってください。

なんだかメビウスの輪のような物語です。

 

ところで、文をかいたマック・バーネットと、絵をかいたジョン・クラッセンは、親しい友人のようですよ。

ふたりとも、永遠のいたずら少年でサムとデイブみたいだと、わたしは勝手に思っています。

 

 

ドン・フリーマンの絵本

しずかに! ここはどうぶつのとしょかんです

ドン・フリーマン 作絵  BL出版

 

カリーナは としょかんが だいすき。

この日も、あこがれの司書さんと ちょっとおしゃべりをして、どうぶつの本をよみました。 

 

 どうぶつたちも ほんを よみたいかもしれないな。

 わたしが としょかんの ひとだったら、

 どうぶつだけが としょかんに はいれる とくべつな ひを つくるのに…

 

そこから、カリーナの空想が むくむく。

ほら、空想のなかのカリーナは、司書さんといっしょの おだんごヘアですよ。

 

色もやさしいパステルカラーで、ほんとにかわいい絵本です。

ドン・フリーマンは「くまのコールテンくん」で有名なアメリカ人の絵本作家。

ジャズトランペッターだったのに、地下鉄でトランペットを置き忘れたのをきっかけに絵に専念…って、泣き笑いのような経歴の持ち主です。

1978年に70歳で亡くなっており、いまの著作権者は息子のロイ・フリーマンさん。

翻訳にあたり、いくつか質問をさせていただきましたが、おとうさんによく似た、やさしいおじいちゃまのようでした。

 

そのロンさんに許可をお願いしたことのひとつを、ここで告白しましょう。

原書では、主人公の名前は Cary、ケアリーです。

それをわたしはカリーナに変えてしまいました。なぜかというと、このお話では、カナリアがとても重要な役割をはたしているから。

カナリアは英語では Canary。キャナアリーという発音になり、主人公の名前ケアリーと、音も綴りも、微妙によく似ているのです。

まあ、英語ネイティブ読者も10人に8人は気づかないでしょうけど。

 

日本語でカナリアに似た名前ってなんでしょう。カナちゃんとか?

だめだめ。それじゃ10人のうち9人が気づいちゃう。

で、思いついたのが、カリーナ。

するするっと読めば気づかない。

本をさいごまで読んで主人公とカナリアとの絆がわかったら、10人のうち2人が気づくかも。

もしかしたら二度目、三度目に読んだときに?

それでじゅうぶん。

絵本は、何度も読んでいただくことを前提としておりますので。

 

 

 

ダッシュだ、フラッシュ!

ドン・フリーマン 作絵  BL出版

 

ダックスフントの夫婦のおはなしです。

フラッシュは なまけもの。まいにち、ひるねばかり。

はたらくのは おくさんの シャッセばっかり。もう限界!

「きょうは あなたが しごとに いって たべものを さがしてきてちょうだい」

 

お尻をたたかれ、しぶしぶ出かけたフラッシュは、あろうことか 電報屋さんに就職します。

「あしの はやいかた」という条件なのにねえ。

でも だいじょうぶ。

足のみじかいフラッシュは、混み合う街の人々の足もとをくぐりぬけて ミッションコンプリート! やればできる!

ほめられて 労働の喜びにめざめたフラッシュ。こんどは一転、ワーカホリックになってしまって、ろくに家に帰りもしません。

あきれ顔の 妻シャッセ。

そのうちに、ほらみたことか、燃え尽き症候群…。

けれども、さいごは ほんわかとしたハッピーエンドにまとまります。めでたし めでたし。

 

家庭生活アルアルの夫と妻の物語ですが、こんなふうに 子どもも含めてみんなで楽しめる絵本にしてしまうあたりが  ドン・フリーマンの力、あるいは古き良きアメリカの包容力なのかなと、今となっては博物館ピースとなった「電報」という媒体とともに、遠いまなざしで眺めてしまいます。

 

 

 

ハロウィーンのまじょ ティリー

ドン・フリーマン 作絵 BL出版

 

ティリーは ものすごくいじわるな魔女。

それって、魔女としては優秀だってことですよ。

でもある夜、月にみとれて うっとりしていたら、おかしなことになりました。

にこにこ顔がはりついて、元のいじわる顔にもどらなくなってしまったのです。

折しも、あしたはハロウィーン。魔女としての晴れ舞台なのに。

 

 

ホウキにのってるのは  まどろっこしいので、いまどきの魔女ティリーはサーフボードにのって空を飛んでいきます。

ワッホー島のワヒワヒ先生の診察をうけたり、母校の魔女学校で勉強をしなおしたり。

魔女の大鍋に お砂糖やチョコレートプリンのもとを入れて先生を激怒させる失敗もしますが、さいごにはちゃんと自発的に立ち直ります。

どうやって、って?

子どもたちにとって、魔女が怖い存在でなくなったら、ハロウィーンの楽しみがなくなってしまうと思ったからですよ。

だからティリーは、世にも恐ろしい顔で、子ども達をこわがらせるんですって。(^-^)

 

縦組みの児童文学の体裁なので「翻訳児童文学」のほうに入れるべきかと迷いましたが、ドン・フリーマンの作品としてこちらにおさめました。

本の縦組み、横組みについては、こちらをお読みください。

http://chihiro-nn.jugem.jp/?eid=4

 

ハロウィーンのまじょ ティリー うちゅうへいく

ドン・フリーマン 作絵  BL出版

 

ことしも もうじき ハロウィーン。

まじょのティリーは プラネタリウムで星の勉強をして、宇宙にいきたくなりました。

今年のハロウィーンは宇宙人をおどかしにいこうっと。

まず、宇宙船をつくらなくっちゃね。

大鍋に それっぽい材料を入れて、まほうのことばをとなえて、スーパーベッタリ接着剤で部品をくっつけて、トンデケガソリンを注入して、ゴゴゴゴゴーッ!

 

さすがは優秀な魔女。

優雅に宇宙旅行をたのしみますが、トンデケガソリンが切れて、よくわからない星に不時着。

きっと火星でしょ。だって火星人がいるんだもの。ついでに、おばけや、あくまや、大きなカボチャもいるけど。

ん、それって…?

さて、ティリーのハロウィーンは、どうなるのでしょう。

 

これもやはり、原書はぎゅう詰めの横組み本だったのを、縦組み読み物の体裁になおしたものです。

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左が原書。右が日本語版。

原書は横組みなので、左から右にお話が進みます。

宇宙船の発射シーンが左ページに、宇宙をとびまわる宇宙船のシーンが右ページにと、おなじ見開きにふたつのシーンが入っています。

 

いっぽう、日本語版では、それぞれのシーンをひとつの見開きで、ゆったりと組んであります。

でも、判型がちょっと小さくなり、宇宙船がお話の進行方向である左にむかうようにと、版をひっくりかえしています。

あまりやりたくないことですが、メリットとデメリット、どちらがよいかを天秤にかけました。

これも子どもの本の翻訳しごとの範疇かなと、わたしは考えています。

http://chihiro-nn.jugem.jp/?eid=4

アリスン・マギーの絵本

ちいさなあなたへ

アリスン・マギー 文 ピーター・レイノルズ  絵  主婦の友社

 

本国アメリカで出版される前に、編集者の浜本律子さんがみつけてきた本です。

フランクフルトのブックフェアで、プルーフと呼ばれる校正刷りを立ち読みした浜本さんは、じんわり涙ぐみ、すぐに出版契約を結んだそうです。

 

けれども翻訳依頼の電話は、ためらいがちでした。

「個人的に感動したんですけど、なかがわさんはこういう本、引き受けてくれないですよね?」

 

たしかに迷いました。

わたしは基本的に子どものための絵本を作っていきたいと思っています。

そしてこれは、100%大人のための絵本です。

 

でも、わたしも「個人的に」心を射貫かれてはいたのです。

それは、絵本のなかの子どもが成長して家をでていく姿を、母が見送るところ。

去っていく子どもは家をふりかえり、じぶんが育った家がちっぽけに見えることをいぶかしみます。

子どもがそう感じていることを、母は知っているのです。

なぜなら、じぶんもそうだったから。

 

わたし自身の子どもが、まさに巣立ちの時期でした。

浜本さんが心を射貫かれたのは、べつの場面だったようです。

お子さんがまだ小さかったからでしょう。

 

ふうむ。

子育て段階によって、ツボがちがうのね。

でも、この本は、子育て経験のある40代以上の女性読者限定だね。

そんな人たちは自分のために絵本を買わないよー。

きっと売れないにちがいないけどさ、浜本さんもわたしも個人的に気に入ったから、営業部に気がつかれないうちに、そそくさっと出しちゃえ〜!

 

……というのが、偽らざる経緯です。

 

もちろん、何度も読み合わせをし、日本とアメリカの子育て文化の違いについても話しあいながら、ていねいに作っていきました。

 

著者のアリスンの言葉は詩なので、そのまま置き換えることはできません。

著者の意図しない方向へ流れないように、また原文同様、平易な言葉でふれるべきは心のどんな琴線だろうかと、アリスンとも密に連絡をとりました。

 

本文の文字は、ふつうの女性が日記を綴るような字にしてくださいと、装丁家の水崎真奈美さんに、描き文字でお願いしました。

 

こうして日本語版がほぼできあがったころ、一足早く発売されていた原書がアメリカで爆発的に売れ、ニューヨークタイムズベストセラー入りという物々しい知らせが舞い込みました。

え〜、なんでだろ〜。ほんとかな〜。まあ、日本とアメリカは違うからね〜。

それまでどおり平熱、いや、低体温のわたしと浜本さん。

 

けれども、主婦の友社の営業部の判断はちがいました。

「これ、いける!」だったそうです。なんと最初から。

 

その判断どおり、10代から80代まで、予想をはるかに上回る幅広い読者の方々が、この本を大切なものとして受けとめてくださいました。子育て経験の有無も、男女も関係なしに。

編集部に届いた読者カードの山を午前3時までかけて読んだとき、わたしは何度も頭を下げ、小声でお詫びいたしました。かってに読者を限定しちゃって、ごめんなさい…。

 

どうやら、この本には、とても豊かな「すきま」があるようです。

そしてそれが、いろんな方の人生の奥行きと共振するのでしょう。

 

アリスンは、この本の核は「かなしいしらせ」のところだといいます。

愛しい我が子には、つらい思いをしてほしくない。切にそう願う。

けれども人生を十全に味わうためには、かなしみが不可欠であることを、母は知っている。

なぜなら彼女自身、そういうふうに歩んできたからであり、見守ってくれた彼女の母のまなざしをも、知っているから。

その深さが魅力です。

 

 

ところで。

メールでのやりとりを続けているうちに、アリスンが、アメリカに数人しかいない私の友だちの、きわめて親しい友だちであることがわかりました。

うーむ、アメリカって小さいね。たぶん人口も30人くらいなんだろね…(*_*)

 

ぼくのゆきだるまくん

アリスン・マギー 文  マーク・ローゼンタール

 

雪がふった朝、

男の子が ゆきだるまを つくりました。

 

  これが くちだよ、ゆきだるまくん。

  ても つけてあげようね。

  

  ぼうしが ほしいの?

  ぼくのを あげる。

 

  ゆきだるまくん。

  ぼくの ゆきだるまくん。

 

男の子は 家に入ってからも 庭のゆきだるまくんをみつめます。

つぎの日も、ゆきだるまくんと遊びます。

豊かな空想時間の たいせつな友だち。

 

けれど、ゆきだるまくんは とけてしまうのです。

帽子だけをのこして。

 

春がきて、夏になっても、男の子はときどき思い出します。

あとかたもなく消えてしまった たいせつな友だちのことを。

 

  たいせつにしたものは、なくならないんだって。

  ちゃんと どこかに いるんだって。

 

ほんとかな。

わたしは、男の子が海をみつめて ぽつねんと すわっている姿がすきです。

 

  だけど やっぱり、

  いないのと おんなじ。

 

そう。

これは雪遊びのお話ではなく、喪失の物語。

雪はとけて、水になり、海にそそぐ雨になり、霧になって、すぐそばにいるのかもしれない。

そう思わないといられないほど、たいせつな存在を失ったひとへの。

 

  たいせつにしたものは

  なくならないって、ほんとだよ。

きみがいま

アリスン・マギー 文  ピーター・レイノルズ 絵  主婦の友社

 

  きみが いま むちゅうなのは

  きいろい カップ

  おはようの うた

  きらきら まぶしい あさの ひかり

  にじいろに かがやく むしの はね

  そして

  おおきな ダンボールばこ

 

原題は "Little Boy"。

小さな男の子が夢中になって遊び、見つめ、追いかける物事がつぎつぎに挙げられていきます。

みずたまり。さらさらこぼれる砂。サッカーボール。絆創膏。濡れた犬のにおい…。

ほんとほんと、と笑って頷き、あるいは、そういえばそんなこともあったっけと遠い日を鮮やかに思い出したあたりに…

 

  さきのことなんて しんぱいしない

  あしたのために いそぐことも しない

  だから

  おおきな ダンボールばこに むちゅうに なれる

 

…とあって、どきん、とします。

くりかえし語られる「おおきなダンボールばこ」は、もちろん、そのままで良いのですが、もっと大きなものの比喩でもあるのでしょうね。

幼い子への愛おしさもさりながら、ふっと時が止まり、じぶんの現在をみつめてしまいます。

 

アリスンの言葉をのびのびとひろげるピーター・レイノルズの絵がほほえましい。

ピーターの絵って、彼が文章も書いているときと、ほかの人の文章のときでは感触がちがうのよね。(^o^)

 

 

 

 

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